概要・管理主体
小豆沢墓苑 概要
-
名称
-
清岸寺 板橋区 小豆沢墓苑
-
事業・管理運営主体
-
宗教法人 清岸寺
-
所在地
-
東京都板橋区小豆沢3-7-32
-
面積
-
2193.73㎡
-
許可番号
-
12板保生環き第67号・68号
-
宗教・祭祀
-
宗教不問・購入後の祭祀自由・寄付等不要
-
開苑時間
-
9:00~17:00
(年末・年始は時間が変更になります) -
休苑日
-
年2回
( 6月と11月のメンテナンス日 ) -
WEBサイト
運営管理者 -
鈴木悠広
管理主体・清岸寺について
埼玉県春日部市(旧庄和町)の北東部、田園風景の広がる江戸川のほとり、宝珠花の地に小豆沢墓苑管理主体・清岸寺はございます。創建は江戸時代の初期、正保3年(1646年)に信譽霊頓上人が開山して以来370年余りの歴史を持つ浄土宗の寺院です。
天領であった宝珠花河岸は関宿城下にも程近く、江戸川水運の拠点として賑わいを呈し、この地方の文化・経済の中心地として大いに栄えました。当山を支えたのは、宝珠花御三家といわれた釜市(中島家)と釜源(中川家)などの釜屋一家をはじめ、堺屋(芝田家)など河岸を代表する有力な問屋商人たちであり、檀信徒の家庭には、清岸寺に逗留し布教活動をしたと伝えられている高僧・祐天上人(増上寺第36世)直筆の名号軸などが祀られており、当山にも祐天上人御手製の名躰不離之尊像や百万遍数珠など上人ゆかりの寺宝が残されております。
また、芝田家の古文書「長久記」(春日部市指定有形文化財)には、文化14年(1817年)に行者で念仏聖と崇められた徳本上人が当山に滞在して大勢の聴衆を集め説法し十念を授けた事や、当寺に名号軸と御詠歌を残したことが記録されております。
昭和28年、当山第32世である先代住職の時代には、江戸川の改修工事により川幅と河川敷が拡張。区画整理事業により、この地区の75パーセントが集団移転することとなり、当山も現在の地に移転。移転前と比べ境内地・伽藍ともに大幅な縮小をすることとなりました。
翌年の昭和29年には、住職・内室ともに教員であったこともあり、地域の要望に応えて寺子屋のような形から宝珠花幼稚園を開園。昭和36年には埼玉県より正式な認可を受け、以降、宗教法人立の幼稚園として平成13年の廃園(過疎化による幼児数の減少のため)まで、開園より約半世紀近くの間、地域の幼児教育の一端を担って参りました。
平成16年には、板橋区小豆沢、新河岸川の程近くに、霊園墓地・小豆沢墓苑を開苑。交通アクセス・利便性ともに良好な都市型の霊園でありながら、隣接地・小豆沢公園の豊かな自然を四季折々感じていただける抜群の好環境です。苑内には、霊園管理事務所の他、清岸寺の東京寺務所として小豆沢墓苑・寺務所を設置。常駐の清岸寺・僧侶が、仏事等の様々なご相談にお応えしております。
本寺のある宝珠花地区では、毎年5月の3日と5日に江戸川の河川敷で大凧あげ祭りが行われます。江戸時代後期より続くこのお祭りは、凧のあがり具合で養蚕の豊作を占った事に始まり、やがては端午の節句に子どもたちの健康と幸福な成長を願って凧あげが行われるようになりました。
現在では、百畳敷きの大凧あげ祭りとして、毎年約10万人の観客で賑わいます。上若組と下若組に分かれて挑む大凧(100畳)と小凧(30畳)が大空高く舞い上がる姿は圧巻です。この時期に河川敷がたくさんの人々で賑わう様子は、舟運が盛んで多くの人や物が行き交った宝珠花河岸の往時を偲びます。
清岸寺 概要
-
山号
騰龍山
-
院号・寺号
廓雲院・清岸寺
-
宗派
-
浄土宗
-
本尊
阿弥陀如来
-
開山
單蓮社信譽上人仰阿霊頓大和尚
-
寺宝
弥陀三尊来迎仏・百体観音・祐天上人御作名躰不離之尊像
-
所在地
-
埼玉県春日部市西宝珠花330
浄土宗の宗旨
-
宗祖
-
法然上人(法然房源空) (1133~1212年)
-
開宗
-
承安5年(1175年)
-
本尊
-
阿弥陀如来
-
教え
-
阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏」と御名を称えて、人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰です。
-
お経
-
お釈迦さまがお説きになった『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の浄土三部経をよりどころとします。
-
総・大本山
-
総本山:知恩院(京都/東山)
大本山:増上寺(東京/芝)
大本山:金戒光明寺(京都/黒谷町)
大本山:百万遍知恩寺(京都/田中門前町)
大本山:清浄華院(京都/寺町広小路)
大本山:善導寺(福岡/久留米)
大本山:光明寺(神奈川/鎌倉)
大本山:善光寺大本願(長野/元善町)